プラス思考が好きな奴ちょっと来い

プラス思考

プラス思考 4歳と14歳で生きようと思った。

正直 そろだろうなと そこまでかの気持ちがわく
宇野系ブログ 2年ぶりぐらいに読ませてもらいました昔は面白いからよく読んでたのですがあホヤから一人で考える時間や宇野さんの試合のあとの悔しいとか嬉しいとか自分の気持ちを大事にしたいので読まなくなりました(気持ちが上書きされちゃうだよね、たまに。あれ、こんな感じゃなかったよね私…となるから)

今だから書ける言葉がそこまでなんだなともう少し何か知ってるのかと思ったけれど言わない契約不手際を引き起こしたひと(スケートクラブ 事務所?だれ?分からないけど)にもっとしっかりせい!ぐらい言ってるのかと思ったら違った(笑)
むしろ、不思議な山田満知子さん賛美コーチ契約に 関わる人とは誰なんでしょうね?コーチ=スケートクラブなの?(わからない)よくマネージャーと称される人物が通訳やら白黒スーツで常にテレビに写り込んでますがあの人が契約も携わってるんですか?(知らないけど)
山田満知子さんが今回何もかも被ってあげてるのも揉めたくない感が滲み出てるような美穂子さんも 伊藤さんも いつも応援してる宣言ファンの厚い信頼ある二人さえもがおしきせの軽いお知らせ風どこ吹く風なんで
宇野ファンの気持ち少しでも考えたのかな宇野公式に 今シーズンはコーチがいないと経緯を説明するべきでもあるかもな話なのにうやむやで本人のインタビュー記事から、そうなんだとなるそんなのおかしいと思いますけど私は 勝手に応援してるだけですから思ってることを少しは書いておきますファンとして 残念なお知らせも受け止めたいそしたらプラス思考になるようバックアップになるかどうかわからないけど、宇野さん頑張れよ 応援続けたいと思ってるそんな微風なほどのファンだけど気持ちをこうして言葉にしています公式は誠実にファンに向けて発信して欲しいと思います

背中向けて 小石蹴るみたいなたまにはそんな気持ちも残しておきます
ミズノさんの それでも宇野昌磨をバックアップするありがたてぇ💚💚💚泣かせるな
たぶん しょま ぜんぜん元気でやってると思う

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復職に向けて、会社の面接を受けてきました。来週7月22日以降で、会社の準備が整い次第、フルタイムで仕事を始めてみます。2年半休職していたボケボケの頭で、体力も十分ではないですが、あせらず頑張ってみます。主治医の先生に書いてもらった復職診断書を読んでいると、告知されてから2年半の出来事を次々と思い出しました。【復職診断書要約】・ 2016年9月頃より食後の嘔吐あり・ 2017年3月フィリピンの病院で膵体部がんを指摘される・ 3月16日 初診。 膵体部がん、横行結腸浸潤あり・ 4月 4日 横行結腸の閉塞により、人工肛門増設※ すい臓がんの方はあまり経験されていませんが、がんの浸潤で大腸が完全に閉塞したので人工肛門になりました。おなかからピンポン玉くらいの腸が出ていて、パクパク口をあけています。そこからうんちがどぼどぼ出てくるのを袋で受け止めます。私は「ストマ君」と名付けて可愛がっていましたが、漏れたり、膨れて爆発しそうになったり、管理はとても大変です。・ 4月24日 切除術を試みるも腹膜細胞診陽性にて切除不可。胃空腸吻合術施行。※ 切除出来なくて、がっかりして退院するときの写真です。すい臓がんが十二指腸にも浸潤して、まったく食べれていませんでしたが、腸を直接胃につなげる手術をしてからは食事が出来るようになりました。そんなに長くは生きれないと思っていたので、食べれるようになった事は最高にうれしかったです 。食べれないって、本当に辛いですよね。・ その後化学療法を施行※ 写真は人生の恩人の一人の方と食事をした時の物です。この頃は、終活リストを作って、一つ一つこなしていました。その中でも、人生の恩人へのあいさつはとても重要視していました。「人」は私の一番の宝物です。・ 2017年10月6日 横行結腸吻合、膵体尾部切除を施行※ 切除術直後の写真です。おなかから5本もチューブが出ていて、トイレも一苦労。手で持っているのは背中に入っている硬膜外麻酔のボタンです。麻薬系の痛み止めなので良く効きましたが、切れた時はものすごく痛かったです。いくら痛くても切除出来たことの喜びがこの時は強かったです。再発の可能性は高いけど、一年くらいは寿命が延びたかなと思っていました。※ 術後一カ月経過したときの写真です。十二指腸や胃に接触していたがんをかきとった為、十二指腸がはれあがって食べた物が通らなくなっていました。消化液もすべて吐いてしまうので、鼻からドレンチューブを入れて、絶食絶飲で一カ月以上過ごしました。食べれるようになったら何を食べるかだけを毎日考えて過ごしていました。鼻の穴が泣きそうになるくらい痛かったです。・ 2018~19年 術後も外来にて補助抗がん剤治療を実施した。※ 術後はアブジェムを打つたびに高熱に見舞われていました。下痢は治ることはなく、トイレから離れられない生活が続き、食べても食べても体力が戻らなかったり、TS-1に変ってからは強い倦怠感に襲われたりと、抗がん剤にはさんざんやられましたが、今のところ再発が無いという事は抗がん剤が頑張ってくれたのだと思います。休職中は、心と身体にストレスを与えない事だけを考えていました。寝たいだけ寝て、妻と二人で長野や新潟、九州をキャンピングカーで旅しながらスキー、山登り、岩登り、そして毎日、治湯に励みました。        同じ病気の方々のブログが読めます。素敵な仲間にたくさんの力をいただいています。 ↓ ↓ ↓
にほんブログ村がんになったごとが私の人生を代表する出来事ではありません(小林麻央)→ 私にとってはまだまだ「がんになったことは私の人生を代表する出来事」です。  それまでの色々な人生設計がボロボロに崩れ去りました。  まだ運よく生きて延びているから良いですが、そうでない人もたくさん見てきました。  こんなプラス思考?にはまだまだなれそうもありませんが、  好きな言葉です。  

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